おかもちの楽書きブログ
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めちゃくちゃ久しぶりの投稿です
最後のカキコあたりの時期からNews Handlerさんの方で
トラブってたのかどうか確認しませんでしたが
RSSは読めなくなってるわ、表示がおかしくなってるわで
書くときはmixiでのみ日記を書くようになってしまっていました。
もうやめてしまうのかなとも思ったのですが
今日気が向いてアクセスしてみれば、そのあたりは正常になっていました。
気がつけばファイルを埋め込んでいたサーバーと契約切ったことで
テンプレの画像読めなくなってるは
表示のメアドを廃止にしてるわで
変更を怠ってました。
しばらく、まだ放置してしまいそうなので
一応ご報告。
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ガンダム00(ダブルオー)終わりましたよ
正直2ndはちょっと・・という気分を持ち続けてました
最終局面に至り、登場人物が次々とお亡くなりになっていくのだが、
どうして、もっと濃ゆい最期を迎えさせてあげられなかったのか・・不満を感じていたのです
「戦場でのリアルな「死」なんてあっさりしたものなのよ(まさに犬死にだし、戦争良くないよね、そんな死にかた、したかあないよね)」
というお考えがあるのかもしれないし、それならそれで分からなくもないんだけど
やっぱしドラマというかアニメなんだし、もっと劇的に描いてあげてもいいんじゃないの という気がします(ガルマもランバ・ラルもドズルも濃ゆく亡くなられた)
1st頑張った分(やりたいことは1stでやりきれた感があったんじゃないでしょうか)、2ndはストーリー進行が惰性で描かれているような感じがしましたし、せめてその辺は熱く作ってやってよと思ったのでした
てな具合にアニメ制作スタッフ心理を勝手に想像しながら文句をたれてます
さらにラスボスのマシンはガンキャノンもどきかよって、ずっこけましたわ
と、まあ以上前振りで・・
ラストは意味ありげな木星の登場のあとに
The Childhood of Humankind Ends(人類の幼年期が終わる)
と表示されたのですが
(その後、劇場公開の予告もあるのだが・・)
SF小説の古典、アーサー.C.クラークの「Childhood's End(幼年期の終わり)」を想起しました(そういうヒト多かったはず)
恥ずかしながら未読ですが
そうか、アーサー.C.クラークの作品が下敷きになっているのかと思いました
ただ、この00の物語の下敷きになっているのは
同じくアーサー.C.クラーク(とスタンリー・キューブリックと)の作品「2001年宇宙の旅」だと思います
改めて考えると私設軍隊・ソレスタルビーイング(Celestial Being , CB)の創設者イオリア・シュヘンベルグのキャラクターはディスカバリー号の船長デビット・ボーマンはを想起させる
ガンダム作品は宇宙世紀をはじめ創作された暦で年代をあらわしていたのに対し00の年代表記が西暦であること
「ヴェーダ」と呼ばれるCBの統括システムは「HAL」のようだ
そして
外宇宙に人類が進出しようとしている時代で
来るべき地球外生命体との邂逅を前に人類が統合されていなければいけない・・的な
戦争根絶を謳ったCBの(なかなか判明しなかった)存在理由
などを考えあわせて、そう思いました。
こういうことはSFマニアな人なら早々にお気付きになったヒトもいたかもしれないな・・
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「ルパン三世VS名探偵コナン」を見た
普通におもしろかったのですが
コナン的には冒険したな と思いつつ、
ルパン的には物語の深みがあまりなかったな と思いました
とりあえず思ったこと
仇役となる公爵のミドルネームに「ムスカ」と入っているのに「おやっ」
で、連想したのはまず
「天空の城ラピュタ」の「ムスカ」。
「ムスカ」が「未来少年コナン」の「レプカ」の先祖であるという裏設定があるというのを何かで読んだ覚えがある。
ここで「コナン」つながりで、にやっとなる
そして「公爵」「ムスカ」「レプカ」は「カリオストロ伯爵」ともキャラがかぶっている
ただ、他の濃さに比べたら本作の「公爵」のキャラは薄味という不満はある
そして、物語冒頭に死んでしまう「女王」が「クラリス」を彷佛とさせるキャラクター設定になっているのに終盤に気付かせられる
さらに「なんとか王国の後継問題、お家騒動」の物語である
なので「カリオストロの城」を中心に宮崎駿作品をずいぶん意識した作品になってるなあと思ったのでした
「深みがない」と思ったのは
「カリオストロ」を意識しているのなら、「ゴート札」はおそらく創作だろうが、かつてのヨーロッパでは覇権争いと「経済戦争」に利用された「偽札」は歴史的事実だったように
どうせなら歴史の暗黒面を描くような題材をもとにストーリーを作ってほしかったのですわ
未知の鉱石で軍隊相手に商売というのが・・SFっぽくてなんか嫌でして、それなら別の題材でやれよと思ったのです
ルパン作品としてはOKかもなのだが、「カリオストロ」を意識している作品というところで不満なのですよ
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小沢一郎氏が来週にも民主党代表としての進退表明という記事ですが
自分はできれば、まだ辞めないで欲しいと思っている
辞めるなら辞めるで、かねてから民主党が主張してきた官僚主導から政治家主導の政治にかわる政界再編につながる辞め方をしていただきたい
朝日で、進退のことの他にこんな書き方をしている
「「ほとんどの企業が国や都道府県、市町村と何らかの形で関係あるから、公共事業でもって仕分けはできない」と指摘し、「企業献金、団体献金を全面的に禁止するならいい」と踏み込んだ。」
で見出しは「小沢氏、企業献金全面禁止を表明 来週にも進退判断」
この小沢さんの発言は企業献金全面禁止を表明してるとは受け取れません
これは
「〜なら・・・である」という仮定に対しての考えを示す文型です
表明しているようには受け取れない
ぼくがこの発言を聞いたなら「禁止できるもんなら、やってみろ」といってるように受け取ります
読んだだけでもそう受けとれるのだが、会見の場にいてもおそらくそう受け取るでしょう
少なくとも「(これから)禁止します」と言ってるようには受け取れない
企業からの政治家個人への献金は禁止だが政治団体への迂回献金は合法なのだ
だから「禁止禁止とやかましくいうなら全面禁止した方がすっきりする」みたいな言い方になっているのじゃなかろうか
それならそれで多少問題発言の気もするが
なんでこんな記事の見出しになるのだ?
ぼくは政治家への企業献金の全面禁止なんてものが、そもそも不可能だと思っているのでこう考えているのだが
今の政治資金規「制」法の原型ができたのは三木首相の時代で
さらにすすめた形になったのが自社さ政権の時代らしいが
(※三木武夫政権1974〜76 このときの改正は75年の時、自社さ政権=自民党、旧・日本社会党、新党さきがけの連立政権・1994年)
この企業がカネを誰に渡したいのかわかりにくい制度より
それ以前の収支報告書に企業が誰に献金したかはっきり書かれる形にした政治資金規「正」法が
政治家の誰がどの企業の利権に預かっているのか分かりやすくなるので、その方が
いいのではないかと思う
そしてその政治家がどこそこにダムやら橋を建てただとか、道をつくっただとか
その情報がオープンになっていて、不特定多数の人間に知れることが有権者が投票行動を考える材料にもなるのだ と思う
民主党サイトでの要旨はこれ
http://www.dpj.or.jp/news/?num=15486
2009/03/17
政権交代こそ大目標 小沢代表が会見で強調
http://www.asahi.com/politics/update/0317/TKY200903170296.html
小沢氏、企業献金全面禁止を表明 来週にも進退判断
2009年3月17日20時16分 朝日
民主党の小沢代表は17日の定例記者会見で「(西松建設の違法献金事件の)教訓として企業・団体献金は全面禁止すべきだ」と語り、公共事業受注の有無にかかわらず、企業献金を全廃するように政治資金規正法改正を検討する考えを表明した。
<中略>
進退問題については「そう遠くないうちに(検察)当局の判断が示される。その結論が出た時に判断する」と述べ、逮捕された公設秘書の勾留(こうりゅう)期限となる24日を念頭に、検察の処分内容を見て判断する考えを示した。
<中略>
今月29日投開票の千葉県知事選などの地方選挙結果が進退判断に影響を与えるかどうかは「私自身の今後のこととイコールのことでは全くない。質の違う話だ」と強調。「政権交代で議会制民主主義の機能を十分発揮できるよう大きな眼目で総選挙に臨む。私個人の欲や何かでやっているのではない」と語った。(松田京平)
その後
毎日も「禁止」の見出しで書いていた
てことは、「禁止の表明ですか」と記者が確認した ということなのだろう
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090318k0000m010093000c.html
小沢代表 「企業団体献金を禁止」衆院選争点化も視野に
3月17日22時24分配信 毎日新聞
民主党の小沢一郎代表は17日夕、党本部で記者会見し、西松建設による違法献金事件を受け、同党内で公共事業受注企業からの献金禁止を求める声が出ていることについて、「禁止するなら企業献金と今回問題になった団体献金を全面的に禁止することだ」と述べ、企業団体献金の全面禁止を検討すべきだとの姿勢を示した。次期衆院選での争点化も視野に、企業団体献金の規制強化に慎重な声が出ている自民党との違いを示す狙いがあるとみられる。ただ、小沢氏は具体的な法改正案などには言及しておらず、民主党内からも実現を疑問視する指摘が出ている。
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>「新タワーの予言者は私たち」当時の小学生が名乗り出る
> (読売新聞 - 02月19日 07:25)
> 東京都墨田区で建設中の新タワー「東京スカイツリー」(高さ約610メートル)のような絵を、29年余り前に「未来の墨田」と題して描いた当時の小学生たちが、同区に名乗り出た。
29年前は、ぼくは幼稚園児だった
このころ親が買ってくれた児童向け雑誌って
「たのしいようちえん」だっけ
「テレビマガジン」もあった
特集記事にはしょっちゅう
未来都市のイメージがまだあった
リニアモーターカーや
高層建築
空を飛んでる車などなど
手塚治虫が描いた未来予想図が
ステレオタイプ化して氾濫していた
高度経済成長の時代
東京オリンピックや大阪万博があった
純粋に未来に希望を持てた時代だったといわれる
一方で「ゴジラ対ヘドラ」の上映は1971年だ
すでにレイチェル・カーソンが発言をはじめていたり
水俣病をはじめ公害もまた現れていたのだけど
1970年代末は希望の未来が、まだメディアには描かれていた
当時の小学生がこういう絵を墨田区だけじゃなくて
全国的に描いていたのじゃないかな と思う
だから「予言」とは僕は思わない
ちなみに僕の生まれ育った京都の事情は
古都といわれるだけに特殊だったと思う
ここにも1964年に京都駅前烏丸口に建った「タワー」がある
今も立っている
だけど、ぼくたちは「ロウソク」と蔑んでいた
もともとは「お東さん(東本願寺)のろうそく」
といわれていたらしいが知らなかった
景観を潰すとまで言わないまでも
あってると思う地元の人は少なかった、多分
古都といわれる町並みに住んでいるぼくらにとっては
やっぱり、未来都市は他所でしか拝めない
でなけりゃ町を潰して作り替えるしかない
と思っていた
伝統の重さに歯向かって発言した人はいたのか、いなかったのか・・
それでも、気が付けば
路面電車はとっとと街並から消えてなくなり
80、90年代をとおして
京都市は大量の借金を抱えながら地下鉄を整備していた
知らない間に都市の南の方もどんどん開発された
京都駅の駅ビルも一新され
タワーが建つ反対側の八条口の風景はすっかり変わってしまった
昔はもっと聖俗入り乱れた街並だったらしいが
今じゃ写真でしか拝めない
住んでいながら知らなかったことはいっぱいある
そういう寂しさを知ってから持った
当時の子供たちが描いた「未来予想図」は
純粋に科学に希望を抱けた時代ならではのものだと思う
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090219-OYT1T00098.htm
「新タワーの予言者は私たち」当時の小学生が名乗り出る
(読売新聞 - 02月19日 07:25)
東京都墨田区で建設中の新タワー「東京スカイツリー」(高さ約610メートル)のような絵を、29年余り前に「未来の墨田」と題して描いた当時の小学生たちが、同区に名乗り出た。
区内のマンション管理人室で遊んでいた5〜6人が一緒に描いたという。すでに亡くなった人もいたが、作者らは管理人らとともに18日、山崎昇区長を訪ね、「予言的中」を喜び合った。
絵は1979年11月、「未来の墨田−21世紀の私たちの町を描こう」という公募展に寄せられ、翌80年に区の冊子の表紙に採用された。昨年新タワーが着工し、「タワーを予言していた」として、区が作者を探していた。
名乗り出たのは、埼玉県越谷市の会社員西田裕延さん(41)、同県秩父市の池田嚆八(こうはち)さん(75)。西田さんの親友で、2001年にバイク事故で亡くなった岡田順二さん(当時34歳)の両親も同席した。
79年当時、同区墨田5のマンション管理人だった池田さんが、遊びに来ていた小6の西田さんや岡田さんたちに描かせたという。池田さんは「1週間以上かけ、子供5、6人で描いていた」と振り返る。西田さんらの記憶では、当初ロケットを描いたが、池田さんに「ロケットがあるのはおかしい」と言われ、足を描き足してタワーになったという。
西田さんは「予言のつもりもなく、子供の発想で『こうなったらいいね』で描いたと思う」と語り、岡田さんの父、正男さん(75)は「息子が友達と描いたタワーが実現してうれしい。贈り物をしてくれた」と喜んでいた。
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ヒトサマがカチンとくる文章
しょっちゅう書いてしまいます おれ自身が
そういう人間だから、どっちもどっちなのだが
それでも、カチンとくる
こんなことがあった
いつとは書かないが
見ず知らずの人から、ブログでつかった画像を使わせてくれ
お願い という
メッセージをもらったわけだ
それはどこそこのサイトにあったのを俺が勝手に使ったものだから
「お願い」されても困ると返したのだ
(それとわかるものだったのだ)
まあ、素っ気ない文章といえばそうなのだ
やっぱし、どっちもどっちだ
それで「そりゃ、そうだ」と返してきた
一応、おれからはどこそにあると書いていたのでその礼はあった
たしかに「そりゃ、そうだ」のことがらだわ
でも、それを俺にいうてくるなよ・・・
やっぱし、現文書かんと伝わらんな、このむしゃくしゃ感
でも書かない
要するに、見ず知らずの人間で匿名なわけだ
仮に相手が俺のことを知っていても
当人が正体を明かしてくれなきゃ俺には分からない
これも可能性としてはある
が、匿名である以上は関係がない
それが突然メッセージ寄越して「お願い」だ
しかも筋違い
なんじゃそりゃ、ですわ
多少丁寧な文章でも礼儀もくそもない
かわいこぶっても腹の底が見える・・・
まあ、そういうしょーもないことでした
ネット上じゃ想定内のことだが
なんとかならないかな〜と思う
どうして欲しいかというと
もちっと、ましなというか利口な文章で書いてきて欲しいのだ
・・文章力が未熟な俺が書いても、愚痴にしかならないわな
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!?
> 文末、新聞記事
このてん末は
あそうギャグマンガ日和 といいならわしたいな と
がんばれ たろう!
オラをもっと笑わせてくれ
永田町まで叱咤激励しにいくぞ
議事堂の裏でウルトラマンタロウの替え歌を唱和するぞ
みんなで永田町にいこう
名付けて
「とりあたまんタロウ」だああ
♪〜
吉田家の 祖父がいた
麻生家の じじがいた
そしてタロウが ここにいる
ハトを見ろ カンを見ろ オザワを見ろ
かなたから せまりくる あかい火を
何でも先祖の 七光り
議員バッチが かがやいて
タロウが 飛び立つ タロウが 戦う
タロウ タロウ タロウ
とりあたまん タロウ
大久保高祖父がいた
麻生家の パパがいた
そしてタロウが やって来た
あれは何 コイズミだ 前の首相
謎を秘め 襲い来るジュンイチロウ
力がほしいと 七光る
議員バッチが かがやいて
タロウが 飛び立つ タロウが 戦う
タロウ タロウ タロウ
とりあたまん タロウ
求む合唱団員
今3人!
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090213-OYT1T00875.htm
「粛々と3分の2条項使う」と首相、小泉発言は「叱咤激励」
(2009年2月13日21時14分 読売新聞)
麻生首相は13日、定額給付金事業を盛り込んだ2008年度第2次補正予算関連法案の衆院での再可決に小泉元首相が慎重姿勢を示したことについて、「政府・与党できちんとした手続きを踏んで、瑕疵なく対応した話だ。参院で仮に否決になった場合、粛々と(憲法の)3分の2条項を使わせていただくことになる」と述べ、再可決して成立させる考えを強調した。
小泉元首相が麻生首相の郵政民営化見直し発言を批判したことに関しては、「私に対しての叱咤激励だと感じた。優しい叱咤激励はない」と語り、厳しく受け止めていることを明らかにした。
首相官邸で記者団の質問に答えた。
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「オリヂナル」
とは、危ういところで成り立つものだなと
総じて
過去話題になった「盗作」事件は
あくまで「事件」
「事実」の検証は難しい
ほとんどがうやむやに「終わって」いる
なによりもメディアしだい
そして「熱しやすく冷めやすい」
すぐ忘れ去られてしまう
その「事件」が
どのように扱われ、論争されたか
著者の姿勢をそこに置いている
おもしろいです
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これちょっと変だと思うのです
「 昨年末に派遣契約が切れ、愛知県の自動車工場の仕事を失った男性(38)は11日に実行委を頼ってやって来たばかり。『仕事がなければ家もないってことにならないようにしたい』と話す。疲れ切った顔だったが、言葉には安心感もにじんだ。」
この毎日の記事を書いた記者はあほだ
「疲れ切った顔だったが、言葉には安心感もにじんだ。」
こんなもの記者の主観以外何者でもない
当人がどんな気持ちであるかなどおかまいなしなのだ
まず、そう思いました
愛知から東京くんだり来たこの方は、めちゃめちゃ困ったうえに藁をもつかむ思いでだったのだと思います
しかし、なにかが違う
愛知県は豊田市を中心にトヨタ王国といわれるところです
だからトヨタ本体が派遣切りをしてしまっている以上
自動車工のような仕事をしてきた人には、その地域で仕事がほとんど見つからないとも考えることはできます
○○県から東京くんだりきてしまう
しかし、どうしてこんなことがおこるのか?
ここで取り上げている愛知県にも「市民」団体(労働運動団体や野宿者支援団体など)がつくるセーフティネットはあるはず
この現象は「年越し派遣村」を企画した人たちの果たして望んだことなのでしょうか?
私は「派遣村」の意義を否定するものではありませんが
主に他の地域のセーフティネットを取り上げずに、「派遣村」ばかりを報道してしまった
これは毎日新聞だけの話ではなく多くのマスメディアがやってしまっていることです
仕事を失い深刻に困っている人が「どこ」にいるのか、そこのところの視点に立つならば
各地に存在するセーフティネットを知らせることも必要なのではないのか
と思うのです
合わせて、各地のセーフティネットを支える人たちによる自己宣伝も欠かせないものであると思います
また、傍証にすぎず確認したわけではありませんが
「派遣村」を政局に利用している政治組織が存在し
まんまと乗せられている政治組織も存在しています
このことが、わたしたちの生活に良く働くのか悪く働くのか
そこもまた、注目しています
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090113k0000m040113000c.html
<年越し派遣村>暮らし再建少しずつ…170人は「再転居」
(毎日新聞 - 01月12日 22:51)
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何年か前、「シャヒード 、100の命」展という
パレスチナでの2000年以降のインティファーダで亡くなった人たちのポートレイトや遺品などが
明大前のギャラリーで展示されたのを観にいったのを思い出しました
記憶にある人もあると思います
サイトもありました
http://www.shaheed.jp/
2003年の8月だったんですね
その時、買った図録を改めて広げました
この展示会の意図されたものは何であったか
生者が死者と向き合うこと、
弔いの輪を静かに広げることだったのではないか
今日(11日)竹橋でこのガザ空爆に対して
東京外大のアラブ・イスラム研究者たちが主催してシンポジウムがありました
期しくも、登壇者のひとりが
「(わたしたちが)やれることは実は何もないのではないか」と最後に言ってしまった
それは「思わず」口に出てしまった感じでした
専門家もまた絶望感を抱え続けている そう感じました
このことは「弔い」をする/考える ことと矛盾しないと私は思います
宗教の意味に考えを巡らせています
以前どこかで聞いた/読んだフレーズです
うる覚えのままですが
死者との対話・コミュニケーションの回路を開くという心の動きをもつことで
人類は宗教を持ち得たのです
自然界で死者を弔う行動ができるのは人間だけです
補足「ある返信にかえて」を書いたのは
わたしたちのする「抗議」を表現するけれども
現地は改善するどころか、悪化の一途をたどる
このガザ侵攻が「底」なのか
とてもそうは思えない
これでいいのか
わたしたちは何をすべきなのか
かの国の人々はあの惨劇を知らない
ひとつのみちすじとして交渉の余地なく自己完結的に殺りくを進めるかの国の政府と
それを指示してしまう人々とコミュニケーションの回路を開くことではないのか
わたしは実は他に考えられないのだが
知ってしまったわたしたちは「追悼」するしかないではないか
ぐるぐるぐるぐる 頭の中をさせていたのです
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